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正直最近の安保法制や反原発デモをみているとどうもこの上の記事の動画を思い出す。
貴公らが血を流し、命をかけて守った民はどうだ?自分の身を安全な場所に置きながら勝手なことばかり言っていたのではないのか?
被害者でいる方が楽なのだ。
弱者だから不平を言うのではない。不満をこぼしたいからこそ、弱者の立場に身をおくのだ。
彼らは望んで「弱者」になるのだよ。
本当の自由とは誰かに与えられてもらうものではない、自分で勝ち取るものだ。
しかし、身は自分以外の誰かにそれを求める。自分では何もしないくせに権利だけは主張する。
救世主の登場を今か、今かと待っているくせに、自分がその救世主になろうとはしない。それが民だッ!
どのデモもそうだが、特にSEALDsの学生スピーチを聞いていると全くこの言葉を聞かせてあげたくなる。自分たちはなにもしないくせに文句だけは言う。権利だけは主張する。
まずSEALDsのホームページ行くとでかでかと
私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます。
コピーしたらフォントそのままだw
この時点で自分たちで自由と民主主義を勝ち取る姿勢が見えない。政治家にやれと。俺はやらんがこうしろ。俺が正しいんだと。
似たような活動(といったら怒られるかもしれないが)のAEQUITASによる最低賃金引き上げデモもそうだ。Twitterのハッシュタグで
正直最低賃金を引き上げろなんて主張は恥ずかしくないのか?自分は何もできないけど金はよこせと言っているようなものだ。自分は何も努力はしたくないけど金をくれと大声で叫んでるようにしか聞こえない。これこそ弱者でいることを望んでいるとしか思えない。
これを実現したいなら自分が政治家になって彼らが言うように中小企業にお金が回るような仕組みを作って貰いたいし、最低賃金も上げればいい。
最低賃金に関してはわざわざ政治家にならなくても実現できる。会社を作って世の中でお金に困っている人を時給1500円で雇えばいいのだ。
でも彼らはやろうとしない。ただ彼らはその主張が着々と実現に近づいていると感じているのかもしれない。この人達のやり方ですごいなって思うのは。いろんな人にみんなの前でスピーチをさせるところだ。あれだけ大勢の前で自分の主張を話せる機会をもつってなかなかできない。
そういう体験をして、テレビのニュースで取り上げられた日には
「あ、俺って、私ってすごい社会に影響力があるのかも」
って思ってしまうのだ。こういうことを繰り返していくと何も変わってないのにできるかもと思えてしまうのかもしれない。そして、何も変わらない世界に対しても、自分だけが事実に気づいてしまった。みんなどうしてわからないんだと、議論は平行線だ。
もちろんこれだけ多くの人をデモに参加させて、メディアにも取り上げられて彼らの活動はすごいと思うし、評価に値すると思う。ただそれが何かを変えるとは思えないし、主張自体も単なる不平不満にしか聞こえないのだ。
このゲームでもちょっとやってみてよ、ねぇ。