私のお母さん
今週のお題「私のお母さん」 だそうです
小さい頃からずっと母親には愛されてないと思ってたよ。別に嫌われてるわけども問題があったわけでもないんだけどね。歳の離れた末っ子でだいぶ放置されてきたからそう思ってた。
小さい頃私はほとんど家にはいなかった。ずーっと友達と遊んでた。兄姉は学校に部活に忙しく、父は単身赴任。家にいた時も仕事でほとんど家にいなかった。母親も家事にパートに子育てで今思えばホント大変だったと思う。
よく覚えてるのは小学生の時家に帰っても誰もいなくて、誰かが帰ってくるのをひたすら家の前で待ってることがよくあった。携帯もない時代だった。真っ暗になって友達の家に行ったりもしてた。親が帰ってくると僕はすごい怒ってたよ。すごい嫌だった。でもこんなことどんな親でも子にさせたくないよね。そんなのわかんなかったよ。
まあそんなことも私は理解していなかったわけで。まあその頃私も仲の良い友だちもいて毎日遊んで夜帰ってメシ食って寝るみたいな生活だった。野球始めたことも大きかったかな。
んで家族で出かけることもほとんどなかったし(覚えてないくらい小さい頃はあったみたいだが)親にかまってもらった記憶もそんなにない。正直ウチの家族はなかよし!とはいえない。特に冷えきってもないしなんか普通だ。
私の両親は子供のなす事に絶対に反対しない。姉が国際結婚をするときも、海外で生きることに決めたことにも一切反対しなかった。私が就職のことで死ぬほど悩んでる時も応援はしてくれても干渉はしてこなかった。私が突然留学したいと言い出した時も二つ返事で了承してくれたよ。
そういうことに対して時には関心が少ないのかと思ってたよ
あんたの好きなようにしないさい。そればかりだったよ。
でもここ1,2年でわかったよ、これがウチの親のやりかたなんだなーって。
私の母親はホント大変だったんだなあと思う。親父は転勤族で数年ごとに転勤する。子供の都合もあるから何年も単身赴任だってあった。3人を一人で育てながらパートもやって、新しい環境に溶けこまなきゃいけない。兄貴は25で就職、姉ちゃんはふらふらしてると思ったら外人捕まえて海外に行っちゃって、次男は24でようやく就職。お疲れ様でした。
去年姉ちゃんが最後、日本を発つとき母親は泣いて姉ちゃんに抱きついたそうだ。そんな姿全く想像つかないよ。母さんが泣いてるのなんて見たことないよ。この人もちゃんと母親だったんだよ。母の日のプレゼントもあんなに喜んでくれるなんて思ってなかったよ。思えば、小学生の時に唯一あげたハンカチの母の日プレゼントも大事にとってたし、大学に合格した時に一番喜んでたのは当の本人じゃなかったよ。
気づくの遅かったよ。こんな気持なるなんて老けたなー!っておもうわー!